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パラオの国旗にみる日本との関係とは?日本との歴史や国旗の成り立ち

パラオの国旗にみる日本との関係とは?日本との歴史や国旗の成り立ち

パラオの国旗は長方形の中に大きな円を描き、まるで日本の国旗と見た目が似ています。実は、「第一次世界大戦後に、日本の委任統治領となった経緯もあり、日本に敬意を評して日章旗をもとにデザインされた」という説があります。それが真実かは定かではありませんが、そのような憶測が生まれてもおかしくないほど、パラオと日本の歴史は深いのです。

ここではパラオの国旗の意味や成り立ちとともに、日本とパラオの歴史を解説します。旅行や観光でパラオに訪れる予定がある方は、歴史を知ることでいっそうパラオの見方も変わるはずです。

パラオ国旗の由来は美しい満月と海から

パラオの国旗は、1979年にデザインを決める一般公募が行われ、 John Blau Skebong(ジョン・バウ・スケボーン)氏(現アルモノグイ州知事の兄)のデザインした作品が選ばれました。そして翌年、国会で採用、正式に制定されることになります。

国旗のデザインである背景の青はパラオの美しい海、黄色の円はパラオから見える美しい満月をイメージしたとJohn氏が明言しています。

当初は円を真ん中に配置していたようですが、何かの拍子で少し横にずれてしまった際、「こちらの方が良いかも」と感じ、以後円を横にずらしたデザインが正式になりました。

パラオ国旗は日の丸由来ではない

パラオは歴史的背景から親日で知られていることもあり、日本の国旗を元にデザインされるも、日章旗に敬意を表すために「あえて中心から少し横に裏した場所に円を描いた」という説があります。しかし、John氏はこれを否定しているようです。

それでも、パラオと日本の歴史を考察すると、日の丸由来であるという説が生まれるのも納得できますし、本人が意図していなかったとしても、日章旗に似ているため選ばれたという可能性もあります。

参照元:https://fotw.info/flags/pw.html

日本とパラオの歴史

パラオと日本との歴史を紐解く、歴史あるエリアがパラオには存在します。そのエリアから読み取れる日本との歴史をご紹介しましょう。

パラオが親日となったきっかけは第二次世界大戦

パラオは親日として知られていますが、きっかけは第二次世界大戦の前後にあります。

元々ドイツの植民地だったパラオは、第一次世界大戦で敗戦し、パリ講和会議によって日本の委任統治領となりました。その後、日本の支援によって、ドイツ統治時代にはほとんど行われなかったインフラの整備に加え、野菜やサトウキビなどの農業の開発や、マグロの缶詰や鰹節などの工場を作り雇用を創出したのです。

日本の敗戦後は国際連合の委託を受け、アメリカはパラオを信任統治下に置きますが、アメリカへの依存を高めるために、あえて産業開発などを行わない「動物園政策」(zoo theory)を施しました。

統治時にインフラを整備しパラオの産業発展に貢献した点、大戦時にパラオ国民の死者を一人も出さなかった点などから、パラオ国民には親日感情が生まれ現在に至るのです。

激戦の地・ペリリュー島におけるパラオと日本の歴史

日本とパラオの関係を語る上で欠かせないペリリュー島は、南北約9km、東西約3kmと小さい島ながら、太平洋戦争中の1944年に起きた「ペリリューの戦い」の舞台となった場所です。

第二次世界大戦時、日本軍はフィリピンを防衛するために、東洋最大の飛行場をペリリュー島に建設していました。アメリカ軍はフィリピンを攻略するために、日本軍にとって重要な場所であるペリリュー島を攻めることになります。

当初アメリカ軍が最新兵器を投入し、3日以内で終わると考えていたペリリュー島の戦いですが、日本軍が洞窟に身を潜めて持久戦に持ち込みます。そのとき、日本軍の圧倒的不利な状況の中、パラオ人の中には自ら戦いに志願した者もいましたが、日本軍はこれを認めませんでした。

そして、73日間にも及んだ激闘の末、パラオ人の戦死者を0に食い止めました。しかし、約一万人いた日本兵はほぼ全滅したといわれています。

ペリリュー島には今もなお、統治使われていた戦車や大砲などがそのまま残されており、戦争の悲惨さを風化させないために、戦跡を辿るツアーもあります。現在は、700人ほどの住民が住んでおり、ツアーを通して船で訪れることもできるので、平和への祈りを込めて来島したい場所です。 

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日本・パラオ友好の橋「KBブリッジ」

パラオには最大の都市であるコロール島と、空港があるバベルダオブ島を結ぶ日本・パラオ友好の橋(Japan-Palau Friendship Bridge)という橋があります。これもまた、パラオ人の親日感情を強める1つの理由であると考えられます。

コロール島とバベルダオブ島間には、1977年に韓国企業が建設した橋が架けられていたのですが、建設から数日経つと中央部分が凹み、それ以降は各国の建設会社により補修、補強工事が行われていました。

住人達が通過する際橋が崩れないように徐行し、万が一崩れても脱出できるように窓を全開にして走行するほど、いつ崩れてもおかしくない状況が続きました。しかし、1996年に橋が真っ二つに折れて崩落し、残念なことに2名が死亡する事故が起こってしまいました。

さらに、当時首都であったコロールの電気、水道、電話などのライフラインはバベルダオブ島から橋を伝って供給されていたこともあり、首都機能が麻痺し、「国家非常事態宣言」を発令するほど大きな被害を受けました。これは「暗黒の9月事件(Black September)」と呼ばれています。

その後、日本のODAの援助によって鹿島建設が耐用年数50年の屈強な橋を再建し、現在は誰もが安心して橋を渡れるようになったのです。

「日本・パラオ友好の橋」は、コロール島とバベルダオブ島を結ぶことからKBブリッジと呼ばれ、コロール島1日観光ツアーなどで寄ることもできます。橋をバックに写真撮影やバーベキューを楽しんだり、海では釣りやシュノーケリングを楽しむこともできます。

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パラオの国旗から歴史や思想を学ぶと、パラオ旅行はもっと面白くなる

実際に私もパラオに足を運んでみて、想像以上の親日国であることに驚きました。そこには先人達が築き上げてきたいくつもの絆があったのでしょう。そのように考えると、パラオと日本の国旗が似ているということには何か因果関係があるのではないかと考えてしまいます。

また、このようにパラオの歴史やパラオ人の思想を学びながら旅をすると、よりパラオ旅行を楽しめるはずです。

パラオに訪れる際は、紹介したKBブリッジの他にも、日本のさまざまな戦跡が残っている、バベルダオブ島やペリリュー島など歴史あるスポットにもぜひ足を運んでみてください。

(執筆:片岡力也)