パラオ・ペリリュー島は第二次世界大戦で日本軍とアメリカ軍の激戦の地として知られ、島内や島の周辺には戦車や戦闘機、艦船や兵士達が身につけていたヘルメットなど多くの遺物が残されています。
現在のペリリュー島は素朴で美しい村とジャングルが広がる穏やかで小さな島ですが、戦没者の慰霊や平和へ祈りを込めて観光客が訪れます。第二次大戦の終戦から70年以上が経過し、当時の様子を語り継ぐ人が少なくなってきた中で、ペリリュー島に訪れることでパラオと日本の深い関係と歴史を学ぶことができます。
本記事ではペリリュー島を知るために必要な、ペリリュー島と日本の歴史や観光スポットと戦跡、ペリリュー島へのアクセス情報などを解説します。
※記事内1ドル=108円で記載しています
手付かずの自然が多く残るペリリュー島とは
ペリリュー島(Peleliu Island)はパラオ諸島の南西部に位置する、南北約9km、東西約3km島の小さな島です。現在も島に住んでいる住民は700人ほどと言われ、ほとんどはコスカビレッジ(koska village)と呼ばれる村で暮らしています。
パラオにあるロックアイランドと呼ばれる島々と同様に、ペリリュー島も珊瑚礁が隆起してできた石灰岩の島です。そのため、コンクリート並みに固いものの、海水によって侵食されやすいという地質によって島内には洞窟が多く、さらにその上をジャングルが覆っているため手付かずの自然が多く残されています。
ペリリュー島の周辺にはペリリューコーナーやペリリューエクスプレスなどのダイビングポイントがあり、大きい海洋生物が見られるチャンスが高いことから、ダイバーに人気の島でもあります。ただ、潮の流れが速いため中上級者向けのポイントが多いです。
二次大戦の日本とアメリカの激戦地として知られ、当時の戦跡が今もなお残っています。日本軍の遺構を訪れ、慰霊するためのツアーが組まれており、コロール島から日帰りでペリリュー島を訪れることができます。
ペリリュー島と日本の歴史
パラオと日本は歴史的に深い関係があります。パラオが第一次世界大戦後に日本の統治下となった時代は、ドイツ植民地時代には行われなかったインフラの整備、学校や病院の建設を行い、近代的農業や工業を推進しパラオ人の雇用を生み出しました。その結果、パラオは経済的に豊かになり、ドイツ統治下と比べて大きく発展しました。
学校が建設されたことで、パラオ人は教育を受けることができるようになり、パラオ人と日本人は平和に共存していました。高齢のパラオ人が今でも日本語を話すことができたり、いくつもの日本語がパラオ語として残っているのは日本統治時代の名残です。
第二世界大戦中、ペリリュー島とアンガウル島は日本軍の前線基地として機能していました。南西太平洋での戦闘が激化していく中、1944年3月にアメリカ軍の攻撃が始まり、同年11月に日本軍が玉砕するまで、アメリカ軍約5万人、日本軍約1万人が戦いました。
アメリカ軍と日本軍の兵力差は大きかったにも関わらず、パラオ人の犠牲が非常に少なかったことは、戦況不利となった際に日本軍が民間人を疎開させていたためといわれています。
このときの美談として、日本兵がパラオ人を戦地から引き離すために嘘をついたというエピソードが残されています。
アメリカ軍がペリリュー島に上陸目前となった頃、日本と良好な関係を築いていたペリリュー島民の代表者数名は、仲間たちとの話し合いの末、日本軍とともに戦う意思を示したそうです。その言葉を聞いた日本軍の守備隊長は「帝国軍人が土人と一緒に戦えるか」と激昂し、提案を拒否しました。
日本軍のことを仲間だと思っていたペリリュー島民は失意のなか船に乗って島を去ることになります。いよいよ島民達が島を立ち去ろうとすると、多くの日本兵達が浜まで飛び出し、涙を流しながらペリリュー島民に手を振りました。日本兵の中には厳しい言葉をかけた守備隊長もいて、ペリリュー島民を犠牲にしないための芝居だったと島民は気づき、号泣したといわれています。
日本が敗戦した1945年以降、パラオはアメリカによって統治されました。ペリリューの戦いが終わって島に戻った島民たちは日本兵の遺体を葬り、いつ日本人たちがきてもいいようにとその後も墓地の管理や清掃を心がけたといいます。
いまとなってはエピソードの真相は不確かですが、それほど日本とパラオには密接な関係が築かれていたことが伺えます。
パラオ国旗は日の丸由来ではないかという説
これまで見てきた通り、パラオは歴史的背景から親日で知られていることから、パラオの国旗は日本の国旗を元にデザインされているのではないかという説があります。
日章旗に敬意を表すために「あえて中心から少し横に裏した場所に円を描いた」という意見について、デザインをしたJohn Blau Skebong(ジョン・バウ・スケボーン)氏はこれを否定しているとのこと。
真実は未だわかりませんが、パラオと日本の歴史を考察すると、このような説が飛び交うのも納得できます。
ペリリュー島の観光スポット・見どころ【7選】
ペリリュー島の観光スポットや見どころは、第二次大戦によって残された遺物や戦跡です。島内の各所に慰霊碑や戦車、大砲、司令部、洞窟などがあり、ツアーであれば、車で3時間〜4時間ほどでペリリュー島内を観光できます。
ペリリュー島のなかでも訪れたいおすすめのスポットをご紹介します。
1.千人洞窟
千人洞窟は、ペリリュー島に上陸してまず最初に訪れるスポットです。
名前の通り、千人を収容できるくらい広い洞窟で、中には休憩所や診療所として使われていたと見られる場所があり、入り口の大きさからは考えられないほど奥行きがあります。
洞窟内部には大量のガラス瓶がそのまま残されていて、戦況にまだ余裕があった頃は日本軍が酒盛りをしていたのではと考えられています。
2.日本軍通信局跡
現在はペリリュー島第二次世界大戦記念博物館(Peleliu Word War ll Memorial Museam)となっているこの建物は、かつては日本軍の通信局として使われていました。
博物館では戦時の遺品や当時の様子を物語る写真が大切に保管、展示されており、ツアーで訪れた場合は、ツアーガイドの解説のあと自由に鑑賞できます。
建物の外観も当時のままで、たくさんの砲弾の跡が壁一面に残されていたり、博物館の正面と横には不発だった爆弾が置かれたままになっています。第二次大戦時とペリリュー島の歴史を資料から学ぶという点においては、ペリリュー島ツアーの中でもメインといえる観光地です。
3.海軍司令部跡
海軍航空隊の司令部として使われていた建物です。建物の骨格は今もなおしっかりと残っており、基礎や壁は非常に頑丈な作りになっていたことが見てとれます。
海軍司令部跡の中に入っていくと、天井に大きな穴がぽっかりと開いています。これはアメリカ軍の爆撃によって出来たもので、800キロもの爆弾が落とされたといわれています。
この建物は将校たちが過ごしていた場所ということもあり、トイレから風呂場や寝室などの設備が整っており、建物の外にも防空壕があったりと、現在もその名残を見ることができます。
4.ペリリュー平和記念公園
ペリリュー平和記念公園は、日本の厚生労働省によって戦没者を悼んで1985年に建てられました。公園の向かい側には、ペリリュー島と同じく激しい戦いが繰り広げられたことで有名なアンガウル島が見えます。
なお、ペリリュー平和記念公園には、平成の天皇皇后両陛下も2015年に戦没者を慰霊するために訪れています。
ペリリュー平和記念公園の慰霊碑の下には、日本の方角を指す矢印を刻んだ石が埋め込まれていたり、碑の中央には半眼のモチーフが日本の方向を見るように取り付けられています。これらは「戦争で亡くなった人たちの英霊が迷わずに日本に帰れるように」という願いを込めて作られたものです。
さらに両脇にはシャコガイが飾られています。ペリリュー島での戦闘は水に苦しんだため、雨が降るとそのシャコガイに水がたまり、碑に沿って雨水が滴って貯水ができるように意図されたデザインです。
戦争によって一帯は焼け野原となったそうですが、現在では緑が生い茂りとても平和でのんびりとした雰囲気が漂う場所となっています。
5.オレンジビーチ
ペリリュー島南部にあるオレンジビーチは、ツアーで必ず立ち寄るビーチです。オレンジビーチはアメリカ軍がペリリュー島に上陸した場所で、日本軍とアメリカ軍との激戦が繰り広げられ、兵士の血で海が赤く染まったいわれています。
オレンジビーチという名前は、アメリカ軍が使用していたコードネームですが、いまもそのまま使われています。現在では戦争の際の悲惨な情景が信じられないくらい穏やかで美しいビーチです。
オレンジビーチでは、透明感抜群の海と砂浜のビーチを眺めながら、ガイドの説明に耳を傾け、ペリリュー島の歴史を学びます。地元の人がオレンジビーチで泳ぐことは稀なようで、静かで美しいビーチとして存在しています。
6.戦没者慰霊碑
戦没者慰霊碑はペリリュー島ツアーで必ず訪れる場所のひとつで、ペリリュー島の北部に位置する墓地の中にあります。
戦没者慰霊碑は、球状の石を載せた背の高い慰霊碑(みたま、と呼ばれます)の周りにいくつも建てられています。ペリリュー島の守備隊であり、戦闘から生還した34名によって結成された三十四会(みとしかい)によって建てられた慰霊碑もあります。
戦没者慰霊碑では、ガイドの解説とともに線香が配られ、みたまにお供えすることができます。
7.ゼロ戦
パラオには現在もジャングルや海底などに、旧日本軍の主力戦闘機であった零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の残骸が残されています。戦跡が数多く残るペリリュー島には、元飛行場の滑走路の近くにゼロ戦の残骸があり、ツアーで訪れることができます。
ペリリュー島のゼロ戦はジャングルの中で、機体の各所から草木が生い茂っている状態です。胴体、コックピットと翼の一部がありますが、防御力よりも軽量化に重点を置いたゼロ戦の外装は0.5ミリと非常に薄いことが近づくとよく分かります。
ペリリュー島へのアクセス・所要時間・費用
日本から訪れる多くの旅行者は、コロール島発のツアーに参加し、日帰りでペリリュー島に訪れることになります。ペリリュー島のツアーはコロール島の港から出発し、スピードボートでロックアイランドの中を進み、波がなく落ち着いているときは1時間弱でペリリュー島に到着します。
ペリリュー島での滞在時間は4〜5時間ほどで、ペリリュー島からコロール島まで戻り、ツアーが終わるのは夕方16時頃です。朝出発し、ホテルへ戻ってくるまで丸々1日を使うツアーです。
ツアー料金はどのツアー会社でも大きく変わらず、大人一人あたり120USドル前後。加えて州税が15USドルかかります。州税は現金払いのみとなるため注意しましょう。
ほかにも、ベラウ・エアによるセスナ機での定期便もあり、ロックアイランドを上空から眺めることができます。
なお、ペリリュー島に宿泊したい場合は、定期船の利用が必要です。コロール島の隣にあるマラカル島から週2、3便の定期船があり2時間ほどで到着しますが、日本人旅行客の利用は非常に少ないのが現状です。
- アクセス:コロール島の港からボートで1時間弱で到着
- ツアー滞在時間:4〜5時間ほど
- 必要な費用:大人一人あたり120USドル前後(約12,960円)加えて州税が15USドル(約1,620円)
ペリリュー島を訪問するツアー
ペリリュー島に訪れるならツアーでの参加がおすすめです。現在はパラオにオフィスを構える現地のツアー会社から申し込みが可能で、ホテルからの送迎や現地でのガイドも含まれているので、スケジュールにあわせて計画を立ててみましょう。困ったことがあれば気軽に相談してみてください。
ここでは、ペリリュー島ツアーを組んでいるツアー会社をご紹介します。
ペリリュー島戦跡ツアー(ロック・アイランド・ツアー・カンパニー)
ロックアイランドツアーカンパニー(通称:RITC)が催行するペリリュー島戦跡ツアーは、島内を車で移動しながら観光スポットや戦跡を巡ります。
主な訪問先は、日本軍通信局跡(ペリリュー島第二次世界大戦記念博物館)、慰霊碑、海軍司令部跡、戦車、千人洞窟、オレンジビーチ、平和記念公園など。毎日ツアーが催行されているので、スケジュールを調整しやすいのが特徴です。
実際に筆者もツアーを体験してみましたが、ロックアイランドツアーカンパニーのペリリュー島ツアーを担当するツアーガイドは、元自衛隊隊員でペリリュー島とその歴史についてとても詳しく、ペリリュー島で起こったことを風化させてはならないという情熱を持った方でした。質問にも分かりやすく答えてくれますし、観光スポットの解説も丁寧です。
戦跡を歩く際は日光を遮るものがなく、コロールよりさらに日差しが強いため日焼け止めは必須です。何度か塗りなおしをしながら、こまめに水分補給をしましょう。スコールやツアーボートの水しぶきを防ぐ衣服があると便利です。
ツアー当日は島内を散策するため、歩きやすい靴をはいていきましょう。足場の悪いところを歩くこともあるので、サンダルよりは履き慣れた靴がおすすめです。
- ツアー名:ペリリュー島戦跡ツアー
- 費用:大人 120USドル、子ども(3歳〜11歳)72USドル、2歳以下 無料(※別途、ペリリュー島への入島税 1人15USドル(6歳以上)が必要。現金のみの支払い可能)
- 所要時間:約7.5時間
- Webサイト:https://www.globalservice.co.jp/optionaltour/1day.html#peleliu
ぺリリュ-島歴史散策ツアー(インパックツアー)
インパックツアーが催行するぺリリュ-島歴史散策ツアーはRITCのペリリュー島ツアーと同様にホテルからボートまでの送迎とボートでの移動、ペリリュー島島内の観光、ランチを含むツアーです。
しかし、RITCとは異なりツアーの開催曜日が水、金、日のみに限られる点に注意です。
- ツアー名:ペリリュー島戦跡ツアー
- 費用:大人 114USドル、子供(3歳~12歳)68.4USドル、3歳未満 無料(※別途、ペリリュー島への入島税 1人15USドル(6歳以上)が必要。現金のみの支払い可能)
- 所要時間:7時間
- Webサイト:https://www.globalservice.co.jp/optionaltour/1day.html#peleliu
ペリリュー島に向かうツアーはコロール島から出発することが多く、ホテルやレストランなどのお店もほとんどコロール島に集結しています。
ペリリュー島へのツアーを検討している方は、コロール島を拠点と考え、ツアーに参加することをおすすめします。ですので、コロール島にあるスポットなどについても、チェックしてみてください。
日本人なら一度は訪れたい島「ペリリュー島」
パラオでは美しい海での楽しいアクティビティやツアーに参加するだけではなく、日本人と特に関わりが深いペリリュー島で、歴史を体験してみるのも貴重な体験です。ペリリュー島へは、ぜひツアーを通して訪れてみてください。
歴史あるスポット巡り、親日家が多いといわれるパラオ人と日本との関係を知ることで、パラオがもっと身近に感じられるでしょう。
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